インターネットと私

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[今日の朝食]
● 卵サンド
● バナナ
● 水
● コーヒー

海外にいると、インターネットに触れる時間がより増える。

遠ざかってしまった日常生活を繋ぎとめようとするためか、あるいは目の前にある違った世界の現実から目を背けるためか。Facebook、旧Twitter、Instagram、YouTube、普段の倍以上は眺めている。

意味のない情報の消費に疲れてくると、やることはいつも更新の途絶えた旧友のアカウントや、昔ハマったブログの探索だ。ページそのものが見つかないこともしばしば。Google のBloggerだって閉鎖してしまった。

アカウントの管理者たちはきっと現実世界の何処かで元気に過ごしているのだろう。第一、現地に満足しないからインターネットに逃げ込むわけで、更新が無いっていうことは、むしろ喜ばしいことなのかもしれない。

長男だった時分、モノにはあまり困らなかった。
特に母方の祖母には何でも買ってもらった。買い物が始まるとスピードが利かないたちで、マルイかルミネで交互に洋服を買ってもらっていた。今では身体が弱ってしまい、それはもう叶わなくなってしまったが、中学、いや高校生くらいまで一緒に買い物に付き合ってくれたのは良い思い出だ。

洋服は祖母と買うものと決まっていたからか、祖父とはマルイのラーメン屋だったり、大学生になってからは下町の居酒屋(それもどれも特段にうまい)によく連れて行ってもらった。ある時、いとこが思い付きでジーンズメイトに行きたいと言い出し、駅ビルへ向かう途中に三人で寄った。私は棚に並んだダメージジーンズに夢中になっていた。

すると祖父がどこからかやってきて、「ほれ」と洋服をいとこに寄越した。

薄いグレーに、よく目を凝らすとライトブルーが混じったような色のパーカーだった。

試着室からいとこが出てくると、それはもうピッタリだった。

祖父母譲りなのか、母からもたくさんのものを買ってもらった記憶が多い。ただ、父からはあまりその記憶がない。というか、父が買うものは少し見当違い、と思うものが多かった。たぶん母からもそんなことを聞いていただろうか、「父=買い物が不器用」みたいなイメージが家族で定着していた。

私が初めて海外に行く時、父からとてつもなく大きい電圧機を買ってもらったことがある。3キロくらいしただろう。コンセントの指し口が5つくらいあった(しかもいろんな形をしている)。スーツケースから出すのも億劫だったが、海外で盗まれないよう毎日スーツケースから出し入れして使っていた。変圧や変換の意味すらよく分からなかったが、せっかく持ってきたからには使う他なかった。あの電圧機があの後、何処に行ったのかは分からない。でも数年の間、学生寮の狭い部屋にあった本棚の一番下にあったことだけは確かだ。

おやすみなさい。

きっと日本へ戻って、日々の喧騒に慣れてしまえば、昔を懐かしむことも少なくなる。旧友に会ったところで、住む世界がもう違い過ぎて会話に困るだけだ。とうに忘れていたブログだって、もし今まで更新され続けたとしても、惰性で読んでいたに違いない。
振り返って懐かしんでもらうくらいが、一番良いのだろう。



(ケニアのナイロビ郊外で泊まったロッジ)

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