ドイツで仕事を探してみる(みた)。

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ミュンヘンで職を探す 。

そんな予定は当初はなかったのだけれど、やむを得ず始める。30を手前にして、職がないと現実的に不便なことがだんだん身にしみてわかってきたからだ。まず第一に貯金残高が一向に増えない。第二に心もとなく、不安に襲われる。

ドイツへ移る前は幾ばくかの貯えがあったのだけれど、こちらに来てからは一定の収入源はなかった。東京に住んでいる時には随分と節約もしたし、仕事もせっせっとしたし、大学生の頃にはみたこともないような数字が通帳に記された。それでとくに何の不便もなかったのだが、ここミュンヘンでは同じようにはいかない。生まれ育った日本では、ちょっとお金がなくたってお尻に火がついてちょうどいいのだが(それでアルバイトしてまた貯めればいい)、ミュンヘンでそれと同じことをやるときれいさっぱりすっからかんになる。それにここでは僕はまったく異国人なわけで、お金がないことには、ビザもおりず、羞恥心と共にきれいさっぱり丸裸にされて日本に送り返される。それからもうひとつ、ドイツと日本では仕事探しの動き方がかなり違うから、ここでは適当な見当というのがつかない。いままでの経験にもとづいて、いまはこうなので向こう数カ月の間にこうしたほうがいいだろうと予測をつけていても、全然そうならないことの方が多い。心配性すぎるくらいが丁度いい。でないあとでととんでもない目にあわされることになる 。

まず今のところドイツには新卒一括就職がないので、丸々一年間もの間、仕事の募集が流れている。大学では毎月何度もリクルートキャンペーンが開かれた。リクルーターが多すぎて校内に人が入りきらなかったくらいである。あるクラスメイトはフルタイムのポジションを早々に手に入れて、学業半ばに見事に退学してしまった。うかうか勉強に現を抜かすことさえできない。こういう場合には職務経験がないと大変に不便である。仕事の募集要件にはあきれかえるくらい一様に職務経験の希望が書かれている 。日本にいたときは、新卒枠があれば説明会やOB、OG訪問なんてものもあったから、職務経験がなくても特に何の不自由もなくやっていけたのだけれど、ここではそれができない。

それから次に生活費、これも大事である。なぜなら生活費を賄う貯えがないと死ぬからだ。この私はまた本当によく食べるのだ。朝ごはんをたべている間に昼ご飯のことを考えているし、ラーメンだの、四川麻婆豆腐だの、なんだかんだと、ミュンヘンにないものを自分で作りたがる。(この間はデミグラスソースがないから1日中フォンドボーを作っていた。)それもまだしも日本みたいに材料がすぐ手に入れば「おうちで簡単─ ─」というようなレシピをなぞらえばこっちも「そうかここでこうこう、こうすればよいのか」とわかるのだが、そんな親切な情報や材料はこの国にはまず存在しない。ラーメンひとつ食べるのに、製麺機やらかん水やら豚骨やらしばしば自分で調達しなければならないから困る。一度、キッチンのみずのはけが急に悪くなることがあった。お酢や洗剤をながしてもどうにもうまくいかない。仕方なしに業者を呼んでみると、排水管の奥底からおよそ家庭のキッチンとは思えないほどの豚の脂が出てきた。キッチン掃除だけで、それだけで数万はくだらなかった。桁が変わるたび、ひもじい思いをして節約してきたのに、食べたいラーメンも作れない。それに懲りて、よしもう絶対に仕事をさがすぞ、と決心をした 。

わざわざ興味のない仕事をするのもばかばかしいから、まず自分のやりたいことをリストにしてみる。日本の大学のキャリアセミナーなんかだとまず5年後や10年後の将来を描いて今の自分に照らしてだとかそういう話になる。これが出来たら30も手前にしてドイツで勉強なんてしていないだろう。やっていることとお手本となるものが前提としているもののごとに乖離がおおきすぎるのだ。だから机にむかってむんむんと考えてもいっこうに何も浮かばない。仕方なしに食べ物やお金に困っているのだから農業と金融に狙いを絞る。特に農民のための保険や金融に興味があったためそれらを中心に応募を始めてみた。コンサルタント業界にも似たようなポストが多く、業務内容を調べただけでもう働いているような気分になるのだから不思議だ。でも、まあこれで仕事探しをはじめた甲斐もあるということなのだろう 。

ところでこっちの面接でいちばん愉快なのはなんといっても最初の雑談で、理由はないのだがなかなか面白い。私は頭のねじがだいぶ緩んでいる人間だから、名刺交換とか社交辞令とかそういうのをみると理由もなくにやにやしてしまうときがある。こちらでは同僚や顧客と話す際には天気とか週末の予定とか仕事とは直接関係ないことを話すのが通らしい。スモールトークというらしいが、なんてことない日本の雑談と同じである。だいたい、面接のときにはどうやってここまで来たのかを聞いてくる。黒のスーツで、ジュースがいくつか置かれ、社内にはコーヒーの香りが漂う。そんななか「私は地下鉄で来まして─ ─」、「いやいや、実はそこのバス停が中央駅からのアクセスも良く─ ─」なんて話をひきつった笑顔で話しているとなんだか滑稽に思えてしまう。この前面接が立て続けにあった時なんか、あやうく自分からバスで来ましたとか口に出しそうになった。こうなってくると自分がロボットになったみたいでちょっと怖い 。

もうひとつ面白いのはどの会社も社員のデスクが個室で分かれているのだが、これもちょっとおかしい。社員がいくつも部屋をノックしてはいったりでたり、なんだか病院の診察室みたいに扉がしまって各自で働いている。野原ひろしの双葉商事とか青島さんの湾岸警察署みたいにデスクが横付けに並んでいるようなオフィスを見かけない。でもまあ、余計な雑音が入らないし、微妙な位置にある電話を相手との呼吸にあわせながらとるとらないの掛け合いをしなくてもいいのだから、これはこれでいいんじゃあないかと思えてくる 。 農業はわりかし市場規模が小さい。求人中の企業が少なく、ひとつの企業に複数のポジションに応募した。応募数のみで言えば20 くらいの幅に収まった。結果、面接依頼が4件、規模は10数人から数万人規模まで、ばらつきの良い面接になった。内3社はドイツ語9割、英語1割。残りの1社も含め、始めにドイツ語で軽く自己紹介したのち、英語かドイツ語かどちらが良いかと聞かれた。農業保険にかかわる会社では、面接の数日後、メールにてお祈りのメールが届いた。スキルも経験も十分にあるけどドイツ語が業務レベルにまで達していないとつづられていた。農家とのやりとりのある仕事では難しいだろう。バイエルン州の強いドイツ語訛りは特に難しい。

もう一社はInitiative Bewerbungといい、興味のある会社に募集要項はないけどこちらからアポイント取る形での応募方法を利用した。経験、スキルは特にほしいけど、残念ながらポジションに今、空きがない、なので今日はお互いを知るくらいの理由で面接をしたいといわれた。8月以降に新しい案件を立てていく予定なので、随時、ポジションができてから連絡したいということでお開きになった。三社目は保険業界最大手。質問はかなり細かく、デジタル化と保険会社の役割、グローバル化がもたらした国家経済への影響、トランプ政権と関税、TTPなど、日本語であっても答えに窮するような内容だった。四社目はコンサルタント業界。これだけ、学生アルバイトの枠で応募した。簡単な業務説明の後に、実際に取り組んでいるプロジェクトについての課題について下調べを行いワード1枚にまとめるように指示された。45分間でまとめたのちに面接官に説明した。面接後に他のボスとの話し合いがあり、数分後にその場で採用通知をもらった。但し、他のインターンの結果を控えていたため、数日猶予を欲しいと伝える。

のちにインターネットで調べたが、やはり同じ話はよくあるようで、眼前のオファーに即答せず、正直に互いの情報を伝えた方が働き始めたときにも心の持ちようが変わるのではないか。

と、今なら言えるが、じゃあ待てないのでこの話はなかったことになんてこともあったかもしれない。振り返ると理解のある面接官で本当に良かったと思う。その方が今、現在、働いているボスになるわけだけど、わりかし面倒見が良い。当面は契約期間中に成果を出して、参与できるプロジェクトを増やしていかないといけない。

周りの友人も修士論文を書きつつ、フルタイムポジションを探し始めている人が多々いる。フルタイムでのポジション獲得は今回よりもよりヘビーだと思うと気が滅入る。周りでも職種やポジションに問わず、70-80社受ける人がざらにいる。それで面接オファーがくるのが1件だったり。とにかく競争が激しい。まるでどこかの島国のようだ。

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