私とミュンヘンの住宅戦争

less than 1 minute read

私が通うミュンヘン工科大学はドイツ屈指の大都市ミュンヘンにある。ミュンヘン中心部に二つ(Munich, Garching)、電車で1時間程のはずれた郊外にもう一つ(Freising)。クラスのほとんどが郊外であるものの、ドイツ語クラスは別キャンパスのため住まいに難ありと思っていた。

 それでもミュンヘンは大都市だ。多少値は張っても大学の寮に住んでも致し方ない。以下はそんな淡い想いを抱いた私と住まい探しの闘争記録である。

  1. 初期~大學寮への申し込み~

晴れて大学院の入学許可を取得。7月初めにミュン工科大学進学を決意。どうやら場所はミュンヘンらしい。オクトーバーフェストもある、ビールが出てくる蛇口はどこだろう。大きなお城や聖堂だってある。ちょっと欲張ればイタリアやスイスにだって行けるかもしれない。毎日、これ見よがしにオシャレ写真をFacebookにアップし続けてやろう。

 そうとなれば引っ越し準備は早きに越したことをはない。早速、寮の申し込み。大学付属の寮は無く、他大学共同の寮に申し込むとのこと。

申し込み欄に「寮の決定には最低でも2,3学期かかります」との文字。もしかして賃貸物件探さないといけないのかしらん?と不安がよぎるも、この世界は自分のために回っているという確信のもとそのまま放置。しばらくは過ごせないであろう日本の夏休みを謳歌することに。

  1. 中期~ネット検索のはじまり~

8月に入るも寮からはうんともすんともこない。代わりに大学からの留学準備の案内が来る。 

 ビザや各種申し込みには住居の確保が必要である云々。

 限りなく早く住まい探しを始めるべき云々。

 クラスメイトからオクトーバーフェストで住宅難はピークになる云々。

ミュンヘン通の友人より「スマイヲサガスノダ」という教示云々。

 サブリミナル効果的啓示を経て大学外での住まい探しを決意。大学や人気シェアハウス検索サイト(例えばこちらを通じたシェアハウスのリストの中から、週に2,3件のペースで応募。数件に一度のペースで返信が来るも、断りのメールばかり。

応募20件目にして、ついに部屋が空いていますよとの文字が!しかし、日本からすぐに部屋の見学に来てくれと言われ、断念。

  1. 中後期~前倒しドイツ入国決意~

8月末、寮からの返事もなく、積もる危機感を感じ1ヵ月前倒しでドイツ入国決意。友人のいるデュッセルドルフに仮住まいし、いつでもミュンヘンに行ける臨時体制を整えることにした。

この時点でかなり焦っていた。住宅が登録される数も若干減っていたし、家探し新入生にとってオクトーバーフェスト開幕はゲームオーバを意味したからだ。みんなで寝袋を集めて路上で生活しよう、そんな談義がクラスメイトのグループチャット界隈を賑わせていた。

結果、試行錯誤を重ね送り付ける自己紹介メールの私はイエスキリストのように寛大で語学堪能、そして友人に囲まれた華やかな写真と個人情報垂れ流しのものへと変容する。

  1. 過渡期~挫きそしてミュンヘンへ~

それでも応募の反応はひどく、断りのメールが来れば良い方だった。1日に新規の入居者募集は数件のみとった。内容を顧みず、えり好みせず、新規募集があればイエスキリスト的メールをどんどん送り付けた。フェイスブックの住宅情報コミュニティには投稿10分後には十数件の申し込みが殺到し、一番最初のコメント投稿者になった時にはそれだけで勝者であった。(返信は無い。)

返事の無い日が続くにつれ、徐々に不安に苛まれる。ビールは夏の暑い時期に飲むべきであり、何故オウガストフェストやジュライフェストにしないのかといったくだらない論ばかり考えるようになり挫折。心の安寧を求め、デュッセルドルフを離れ一度静かな住まいに向かう。遠くに見える気球を眺めつつ、ノマド的留学生活もありかなという邪念がよぎるも改心。

  1. 終末期~持つべきものはやはり友であった~

改心後、日本人のミュンヘンでの住宅探しサイトから1件、見学の予約の取り付けに成功した。その後も投稿2分後にメールしたシェアフラットの人より1件、ミュンヘンに住む友人の紹介でさらに1件見学の予約をいただくことが出来、すぐにミュンヘンに向かうことに。

当日、ドタキンがあるもフェイスブック経由で翌日予約を取り付け、結果、3件の見学に行ってきた。最終的に友人の紹介で見学した場所に無事決定。もっとも他のどの部屋も素晴らしく、住まいの方々もとても良心的な方々だった。

それでも他の見学者の予定があるため最終的な返事は月末くらいになるらしい。ミュンヘン滞在数日にして部屋が決まったのはかなり運の良い方だったと思う。持つべきものはやはり友であった。そしてドイツに即入国し、大家さんたちとの面会を可能にしてくれた日本国パスポートもやはり持つべきものであった。

初期から含めば、部屋の確保に3ヵ月弱。この時点で9月半ばであり、これがダメならドイツ迷走記改めノマド留学冒険記になっていたことだろう。

Welcome

最後に同研究科クラスメイトや実際に体験した各レポートを以下に記したい。

ケース ① 家賃入札制度

 一部屋を大家さんとともに十数人で見学。家賃は450ドルと決まっていた。その後大家さんより「家賃を一番多く払える人がこの部屋を獲得できます。希望金額を教えてね♪」という入札制度が導入された。

ケース ② 親御さん同伴制度

 大家さんへの信用を高める為、部屋の見学に親御さんを同伴させるもの。また、自身のパスポートのコピー、保証人の収入証明書/パスポートのコピー、損害保険の加入義務など信用獲得の為の手続きが多い。

ケース ③ 間借り制度

 自身の留守中、大家さんに許可を取らず数か月の滞在・家賃の支払いをお願いするもの。この場合住宅申請や学生ビザの申請を大家さんを通じてお願いすることが出来ない。

ケース ④ 突撃となりのイギリス人さん制度

 スターバックスにて道案内をお願いしたアフリカ系イギリス人さんに部屋を探していると相談。ミュンヘン市内で空き部屋を持つ友人を紹介してくれた。

 やはり不動産を訪ね、部屋を見学し、契約完了といった日本の流れとこちらでは大きく異なるようだ。また英語よりもドイツ語でのコミュニケーションがここミュンヘンでの信用獲得の程度に大きく関わることも加えておきたい。

コメントする