現地生活と私
[今日の朝食]
● マトケのフライ
● 葉野菜の塩炒め
● 牛肉・ピーマン・玉ねぎ・人参・ピーマンのトマトシチュー
● チャパティ
● パイナップル
● プロテインパウダー入りミルクコーヒー
● 水
東京の大学に入学したとき、私は失意の中にいた。
孤独な浪人生活の末、第一志望の大学には届かなかった。周りへの劣等感と己への失望が入り混じっていた私は、周りを見下すことで自尊心を保とうとした。
国際コミュニケーションという名のついた学科に集まった学生は、建前だけのからっぽな人間にみえた。そのようにしか見ることのできなかった私の人生観が実はいたく狭かったのだ、と今の私なら優しく諭してあげることもできるだろう。しかし、当時自尊心を鋭く磨きすぎてしまっていた私は、ホームに降りて階段を上り、大学行きのバスに並ぶ黒髪の烏合の衆を白い目で見つめ、大股で横切ることで個性が満たしていた。
学部では海外が一つのステータスになっていた。
両親が駐在だとか、国際結婚だとか、帰国子女だとか、どれも地元を離れた学生たちに煌びやかに映った。彼女たちと肩を並べる唯一の方法が留学であったことは違いない。狭窄な自尊心のみで自己を保とうとしていた私が、そのような雰囲気にのまれるのは時間の問題だった。
当時アメリカに留学した女の子を覚えている。彼女もどうやら帰国子女の一人で、クラスでもアメリカの交換留学生といたく英語が話したがっていた。
直ぐにアメリカの西部海岸に留学すると、彼女のFacebookはパーティやら、図書館で白人と勉強している様子やらの写真でいっぱいになった。
彼女のFacebookはいつもオンラインになっていた。
せっかくアメリカにいるくせに、随分と暇な奴だな、と横目に見下していた。
アルアのインターネットは弱い。
調子の悪い時には144p画質が精一杯になる。テレビ画面の人の口や開きっぱなしになり、クリームケーキを塗りたくったような芸人の顔はドットの集合体に変貌する。
たまに回線の調子の良い時には料理動画をみる。まずは町中華、カロリーが高ければ高いほど良い。チャーシュー動画は永遠に見ていられる。イタリアン料理も悪くない。2ヵ月に渡り、数えるほどしかヤキソバ麺しか食べていない私にとって、カスタード状のカルボナーラソースがパスタに混ざり合い、カリカリのグアンチャーレが盛りつけられ、パルミジャーノレジャーノが雪の粉のように降りかかる動画を見ているだけでお腹いっぱいになったような気分になる。遠く離れた日本がとにかく恋しくて、そんな寂しさを埋めてくれるのがインターネットなのだ。
おやすみなさい。
(ホテルに居座っている猫)
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